2002年05月

2002年05月30日

昨夜、11時過ぎに帰宅したダンナ君に驚かれた。
なぜなら、彼の乗っていたエレベーターが開くと同時に私がFFと玄関のドアを開けて待っていたからだ。(ちなみに、エレベーターは玄関のドアの真正面にある。Door to Doorね。)帰る前に電話をもらったわけでもないし、電話をもらっても時間通りに帰ってくることはほとんどない。でも、私はこうやって、彼を迎えることが多い。なんだろうか?

直感である。彼の帰宅時間はほんとまちまちなので、私もなんで当たるのか分からない。あ、もうそろそろ、帰ってくるんじゃないかなと思うと、まず窓から下を見る。下はメインの道路があって、人や車が右往左往している。(すごい混んでるってわけじゃないけど)そこから、ウチに向かって歩いている人を見る。(その間約5秒くらい)そして、ダンナ君らしい人を見つける。絶対そうだと確信すると、玄関のドアを開けて待つ。なぜかというと、香港のマンションの玄関はどれもガメツイ鉄格子があって、それが結構重たく鍵穴にキーが入るまでにやれやれという感じなのだ。ということで、誰も恐れない日本人ワイフは強盗に襲われないという確信を持って、この鉄格子を開けハズバンドを待つわけなのです。もう1つ違うパターンもある、忙しくないときに面白くないTVを見てチャンネルを変える、するとこれまた、香港のマンションはセキュリティーカメラが各家のTVチャンネルに映るようになっていて、たまたまそのチャンネルをオンにした時にエレベーターのセキュリティーカメラに映るダンナ君を見かけることがあるのだ。走ってドアを開けるとちょうどダンナ君が鉄格子を開ける直前だったりするのだ。そして、また目玉を白黒させる。まあ、毎日というわけではないが、よくあることなので、自分ではもう驚かなくなっていた。ダンナ君も慣れたからもう驚かないんだろうなぁ。と思っていた。しかし、ことあるごとにトリックがあるのではとダンナ君は思っていたらしく。(って一体どんなトリック?)昨夜は特に不思議だったらしく、ダンナ君は「なぜだ〜」を連発してました。

でもね、人間長いこと生きていると、誰しもこういった能力が備わっていることに気づくはず。それを‘超’能力というスーパーな能力といってしまうから、こわくなるんだな。でも、心理学などのそういった難しい学問を除いて、相手の心を読むというのは日常茶飯事やってること。それは、気づかないスーパー能力の1つだと思う。一番分かりやすく、そして簡単にその‘超’能力体験するには、恋をするといいんじゃないかなぁ。
動物にはこのスーパー能力が顕著に見られる。たとえば、ねずみが沈む前の船を予知して、大量に船から他の場所へ移動したり、ナマズが地震を予知したりね。(お断り:私は決してニューエイジとかUFOとか摩訶不思議・超能力!とかそういう類のものに関心があるわけではありません。)

思えばこういう能力を当たり前のこととして受け入れるようになったのは、アメリカ人の女性が書いた「MutantMessage」(確かこんなタイトルだったような。日本語でも翻訳されて売ってます)という本を読んでからだった。彼女がオーストラリアの原住民アボリジニのとあるグループと聖地を目指す旅をした時の記録です。本を読むと分かるけどアボリジニには色々な能力が備わっていることに驚かされる。例えばはるか遠くのモノを見る力とか言葉を発せず思いを伝え合う力(ほら、渡り鳥が突然三角に群れをなしたり、一本の直線飛行になったり、言葉を使わずそういうことが出来る。)絵を描く文化はあっても、文字文化がなかった彼らには、想像もつかないほどの記憶力がある。というような能力。遠い昔、人間の生活が動物の暮らしに近い頃、こういった能力がすべての人間に備わっていたはずだ。文明が進化を始めると共に、何かが退化していく、寒さをしのぐ火をおこすことを知り、家を作るようになってから、体毛も薄くなったであろう。狩りをすることがなくなり、遠くを見る必要がなくなった。ビルで視界が妨げられ、近くのモノを見ることがおおくなる。そして、だんだん近眼になる。トンネルや橋をつくり険しい山や川を渡ることもなくなり、運動能力も低下したであろう。交通網が発達したり、電話、メディアが普及した、言葉や文字を使って、遠くの人に思いを伝えることができるようになって、そういった言葉なしで伝え合う能力は必要となくなった。もとはといえば、あった能力が今は不思議な‘超’能力となっているわけで、おもしろいですにゃ。
私たちの遺伝子には遥か昔の記憶があるわけで、その記憶が昔の能力を呼び出す引き金になるのでしょうか。
ところで、ダンナ君の帰宅を予知する私は、人より何かが進化していない分、その能力が退化していないのかも。一体なにが進化してないんだろう??

(10:53)