ダイバーシティ

2017年08月31日

もっちぃ:「まみー、あのね、レッジョ・エミリアなんだけどさぁ。」
もっちぃ:「あのねぇ、レッジョ・エミリアのさぁ。」
私:「何それ??」

最近、レッジョ・エミリアがどうのこうのとうるさいので、
なんだか調べてみたら、
Reggio Emiliaというイタリアの町の名前らしい。
が、単なる村じゃなくってモンテッソーリやシュタイナーなんかを差し置いて
最近注目を浴びている幼児教育のアプローチだった。
第二次世界大戦後、レッジョ・エミリアという町が復興の際に教育に力を入れたらしいのだけれど、
教育には町ぐるみで参加し、芸術や自然を通して子供の創造性と可能性、個性を広げる教育方法で、
モンテッソーリやシュタイナーのようにメソッドのようなものでなく、
もっと自由な教育方法らしい。
今でもイタリアのレッジョ・エミリアは町ぐるみでこの教育方法に注いでいるらしい。

この教育方法は簡単に言うと、
一般的な教育は子供にこれはああだと既成概念を教えて、
せっかく生まれた子供の発想や感性を抑え込んで、
せっかく花咲いた芽を摘むいでしまっているところがあるけれど、
レッジョ・エミリアアプローチは
そこを自由に解き放つ教育を目指しているっぽい。

例えば、お花は水と土の栄養分と太陽で育つという風に普通に教えるより前に、
子供達にどうしたらお花は育つかと聞いてあげる。
すると
「早く大きくなって」とお話しすると育つとか
撫でたら育つとか
歌うと育つとか、
優しくすると育つとか
大好きなおもちゃをあげると育つとか、
もう、自由に子供達に発言をさせてあげるというような教育方法なんじゃないかと思う。
多分。
私が大雑把に解釈するとそんな感じ。

もっちぃの学校もレッジョ・エミリアを取り入れようとしていて、
何かしらのプロジェクトがあると、
先生はほとんど介入せず、こどもだけでミーティングをさせ、
誰が何をいつまでやるか、何をやるかと決めさせる。

実は、今学期と来学期はこのレッジョ・エミリアのプロジェクトの一環として、
自分たちのクラスルームの内装などを自分たちで過ごしやすいものに変えるというもの。
クラスルームの何を排除して、何を取っておきたいか、
というのをiPadで写真に撮ってまとめているらしい。
そして、お絵かきタイムが沢山。
木の枝や葉っぱを使って計算の勉強をしたり、
自分たちで育てた野菜を保護者に売って、お金の取引の勉強をしたり。

毎日、変わったことをやってイキイキとしている。

ところで、もっちぃのお友達はクララやゾーイの他にアリッサがいる。
アリッサはいわゆる発達障害を持っているのだけれど、
もっちぃやディランと仲がいい。
最初の2学期は毎朝すごい勢いでギャーギャー泣いたり、突拍子もない行動に出たり、
授業中机に登ったり大変だったけれど、
今はクラスの子供達と深く交わって、ひょうきんな一面や頭のいい一面も見せて
もっちぃともよく遊ぶ。
今日起こった面白かったことの中に必ずアリッサの名前が出てきて面白い。

日本では勉強の邪魔になるからと
発達障害の子供が普通クラスに入らないケースが多いようだけれど、
(もちろんそうしないと親御さんの負担がかなり大きいと思うけど、
そこらへんは健常者の親御さんの理解と教育も必要)
もっちぃの学校を見ていると、
やはり小さい時から色々なこども達と交わるのは
皆にとって非常にいい体験だと言わざるおえない。

クラスの子供達の成長ぶりが素晴らしい。
障害等関係なく弱いものがいたら、みんなで助け合うし、
いじめにも立ち向かうし、
何ができて、何が出来ない。
何が受け入れられて、何が受け入れられないことかの判断が
しっかり身についている。

頭がよくて有名な大学を出ても
みんなと共存して生きる力がなければ、
意味がない。

もっちぃのクラスは大きくなってから偏見なく色々なタイプの人と付き合えるだろうし、
障害を持った子供も自信や適応能力が育つと思う。

何度もこの日記で言っているけれど、
本当にダイバーシティ(多様性)をインクルージョン(受け入れること)が
人間として社会に生きるために必要なスキルだと思う。

フランス大統領夫人のブリジット・マクロンさんも
発達障害を含むハンディキャップを背負った子供が健常者の生徒の教育に組み入れることに
力を注ぎたいと言っていたし、
早く日本や一部のオーストラリアの学校もそういう風潮になって欲しいなと思う。

何故なら、今現在、もっちいのクラスで問題があるのは、
ハッキリ言って、障害を背負ったベンやアリッサでなく
健常者の子供達が意図的に授業を妨害したり、意地悪したりしているからだ。
障害で衝動を抑えられない子と違って、
自分の意志でそういう行動に出る方がよっぽど悪どい。

そういった子供達も含め、先生や親たちが分け隔てなく
子供達を理解しお互い学び合ってサポートしていけたら、
どんなにいいだろうか?

それが教育の理想だと、教育を勉強していない私は思うのだけれど、
どうだろう???





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